私と投資との出会い1


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こんにちはソイです。


今日は私と投資の出会いとの
お話をさせて
頂きたいと思います。

と言っても素人に毛が
生えた程度の投資家なので
軽く読み流して下さい。

私が初めて投資を始めたのが
38年前の新入社員の頃でした。

私が入社した当時はまだまだ
高度成長時代。
物を置けば売れるような時代で

アパレル業界に入った私は
店頭の服が、毎日夕食の食材の
ごとく飛ぶように売れていく
風景に驚いたものです。

「凄いな!この業界!」

まだまだ、よちよち歩きの
新入社員でしたが、自分の
入社した会社が成長産業の
真っ只中にいる事ぐらいは
直ぐに実感出来たのです。

その為、私のサラリーマン
としての仕事は猛烈な量で
朝まで仕事なんてのざら・・・。
この時代、労基法なんてのは
有名無実でしたから。

もう滅茶苦茶な時間働いて
いました。朝8時に出勤して
終わるのが翌日の朝の5時。

仮眠してまた翌日の
朝の8時には店にいました。
こんな事が月に何度も
あったのです。

ただ、嬉しい事に初任給は
125000円でしたが
残業代が軽くその倍以上
あったのです。

38年前の新入社員のサラリーが
約35万なんて考えられますか?
今ならあり得ないですよね。
まずは金額よりも残業時間で
労基法に引っかかる。

しかし、当時はそれが普通でした。
当然、先輩達のサラリーもよく
先輩達はみな、後輩に対して
気前が良くて、私なども何時も
ご馳走してもらっていました。

ただ、私の会社は完全なる
体育会系で
上下関係が死ぬほど
厳しかったのが特徴です。

それもかなり
歪曲した厳しさでした。

どれほど酷い体育会系であった
かとういうと、飲み会の後に
せみの真似をしろと言われ
電柱にのぼらされ
せみの真似を永遠させられたり

工事現場の三角コーンを
盗んで来いと命令され
それを頭に被らされ
歩いた事も。

深夜の歩道、コーンを被った
人間が2~3人
歩く姿は異様でした。

また、心斎橋通りを女装して
端から端まで歩いて来い
というリクエトには

スカーフを頭にかぶり
ミニスカート姿に
すねげの見える生足をだし
それに革靴を履いて歩きました。

そんな姿に
死ぬほどは恥ずかしかった
思い出が有ります。

勿論、先輩や上司達は
そんな後輩社員達を
見て大喜び。(笑)

そして一番きつかったのが
先輩や上司達との飲み会。
飲み会の席では先輩や
上司全員につぎ
そのご返杯は必ず一気飲み。

嫌な先輩などは、アイスバケットで
飲めと命令してきます。
ほんと死人が出なかった事が
不思議なぐらいです。


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この1Lも入る
アイスバケットの一気飲み。
めちゃくちゃきつかったです。

それもこれだけでは有りません。
他の先輩のご返杯も
飲むのですから・・・。
もう何人もぶっ倒れていました。

宴会では何かと芸をさせられ
つまらないと怒号や罵声が
部屋中響き渡ります。

面白い芸、先輩や上司にウケる芸を
一発でもヒットさせると
それはそれで今度は宴会のたびに
永遠にやらされるのです。

仕事が猛烈にきつく
更にはアフターで
当時流行った
花の応援団のようなノリに

いくらサラリーがよくても
大量の離職者が出た事は
言うまでもありません。(笑)

ただ、そんな状況も会社は黙認。
多分ライオンの子を
崖から突き落として
上がってきた人間こそが

本物の社員だと
思っていたのかも・・・。
そんな狂ってるとしか思えない
会社でした。

本当に何から何まで
めちゃくちゃでした。
僅か1年で同期の半分が退職
していましたから。(笑)

夜逃げした奴もいます。
「辞めます。」を怖くて
言えなかったからです。

夜逃げした社員の親が
会社に乗り込んで来て
揉めていた事もあるようでした。

集合研修で集まると
あれ?みんな
どこ行ったんだ?(笑)

しかしながら、私にはこのノリが
社風が合ったようで
意外に楽しんでいました。

私は学生時代から極真空手の
道場に通っていたので
元来、体育会系の体質です。

毎日が喧嘩のような道場で
入社までに5年間、既に
みっちりと鍛えられており

道場での先輩との会話は
押忍。」のみ。
そんな世界で、揉まれていたので
会社の厳しい先輩後輩の
関係にも案外平気で

それよりもサラリーの多い
この仕事がとても
魅力的であったのです。

私は貧しい家に育ちました。
なので、子供の頃から社会に
対して理不尽な気持ちを
抱いていました。

それは、生まれた家によって
自分の境遇が変わってしまう
その事です。

成人するまでは全て
どの親から生まれるかで
人生が決められて
しまいます。

私は友達を呼べないような
バラックの家に住んでいました。
しかし仲の良い私の友達は
庭のある白い2階建ての家に
住んでいたのです。

本当にうらやましかったです。
そして彼が眩しかった。
子供心に「何故だ!何故うちは
こんなに貧乏なんだ!」
そう思い、親を恨みました。

世の中の不公平さに
ぶつけようのない
怒りを感じたものです。

そして「俺は絶対に金持ちに
なってみせる。」
こんな思いを幼少期から抱いて
成長していったのです。

そして就職。
毎月決まったお金が入ってきます。
それも結構な金額です。

私はそれを投資の元本にと
貯蓄し始めました。
大和証券に口座を開き
元本が出来れば株式投資を
始めよう、そう考えていました。

しかしこれは意外にも
父親の影響でした。
父親は暇さえあれば会社四季報を
眺めていたのです。

「父さん、それは何?」

子供心にそう聞くと
父は何故、会社四季報を
見ているのか
教えてくれたのです。

父は株を購入する余裕などは
なかった筈でしたが
投資について勉強していました。

父もまた現状に満足して
いた訳ではなく、何とかして
お金を生みだしたい。

そんな思いで、せめて
会社四季報を眺め
株価を予想し楽しんで
いたのかもしれません。

余裕の無かった我が家では
父は何の楽しみも無かった
筈でした。休みはただ寝るだけ。
家で過ごす着物は私が覚えている
限りではずっと同じ物でした。

そんな父の唯一の楽しみは
四季報を眺めるだけ。
買ったと仮想する株価の動向に
一喜一憂する。
何とも悲しい話です。

毎日・毎日仕事と家の往復。
娯楽などはまるで縁の無い世界。
それを物語るように、我が家では
家族で外食なんて思い出はゼロ
です。ましてや旅行なんて・・・。

なので今、ファミレスに来ている
家族や、海外旅行に行く家族を
見ると、大きな時代の変化を
感じるのです。

裕福な家に生まれたかった。
今でもまだ、そんな事を
思い、世の中の理不尽さに
腹が立ちます。

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